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東京地方裁判所 昭和31年(合わ)82号 判決 1959年10月20日

被告人 近藤英治

昭二一・二・一二生 会社技師

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中五百五十日を右刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

第一公訴事実第一の本位的訴因(殺人)に対する判断

(一)  検察官は公訴事実第一の本位的訴因として、「被告人は日本皮革株式会社の技師であるが、昭和三十一年二月二十八日午後六時過頃、東京都足立区千住緑町十六番地の同会社クローム試験工場内試験室において、同僚の技師佐々木徳(当三十五年)と会飲の際、職務上の問題について口論の末取つ組合となるや憤激の余突嗟に同人を殺害しようと決意し、その場にあつた金槌及びバール等を以て同人の後頭部等を数回強打し、因つて即時同所において同人を脳打撲損傷により死に到らしめ、以つて殺害の目的を遂げたものである。」と主張している。

(二)  よつて一件証拠を綜合考察するに、右殺人の公訴事実に対する外形的事実は優にこれを認めることができる。

ところで、被告人に係る鑑定人林[日章]作成の鑑定書(以下林鑑定と略称する)は、「被告人は分裂気質というべき性格を示し、思考判断も内閉的で、父、弟等と同じく、反応的に被害的、強迫的の念慮を生じ易い傾向がある。体質的に酒に対する耐性強く、大酒によつて病的酩酊に陥り、異常な意識変調を起こすことがある。右殺人の犯行当時は、病的酩酊の状態で、相当高度の意識の障碍、変調を来たしていた可能性が甚だ大きい。」として居り、又鑑定人三浦岱栄作成の鑑定書及び同人の当公廷における供述(以下両者を三浦鑑定と略称する)は、「被告人は体質上潜在的な異常性格をもつており、飲酒に際しては極めて激越的な病的酩酊を起こす可能性が多分にある。而して被告人の病的酩酊の特異性は完全に抑制のとれた激しい運動興奮を呈することであつて、感情も極度に刺戟性となり危険この上もないものの如くである。而しては右殺人の犯行当時は明らかに飲酒に基く病的酩酊という精神異常状態にあつたものと認められ、その精神障碍の程度は極めて高度であつたものと推定される。」としている。以上林、三浦両鑑定によれば、被告人が佐々木徳を殺害した当時飲酒の結果病的酩酊に陥り、その精神状態に極めて高度の障碍を来していたと認むべき蓋然性は極めて強い。もつとも被告人の検察官に対する昭和三十一年三月十日及び同月十七日付各供述調書、司法警察員に対する同月五日付供述調書によると、被告人は捜査官の取調に対して相当詳細に右犯行の模様を述べており、被告人の取調に当つた証人元木実(当時千住警察署警部補)の当公廷における証言によると、取調に際し捜査官が無理な取調をした形跡はなく、右の供述は被告人においてすべて肯認していたものであることが認められ、しかも同供述によるもその犯行中幻覚、幻聴の現われた形跡はなく、又右犯行に使用したと認められる金槌等は平素試験室内の机の抽斗の中に保管されているものであるのに特にこれらを取り出して犯行に使用して居り多少の意識が存在したと疑わしめる事実等に徴すると、当時被告人が病的酩酊の状態にあつたと断定するのには幾分疑問の余地がないでもない。しかし、一件証拠によれば、被告人は平素被害者とは極めて昵懇の間柄にあり、しかもその学歴、経歴等を考慮すると、たといその間に職務上の問題について論争があつたとしても、殺意をもつて右の如き犯行に出ることはにわかに首肯し難いところであり、これに林、三浦両鑑定が一致して認めている被告人に対する飲酒試験における同人の酒に対する反応の異常性等を考えると、林鑑定が「今回の殺人に至つた事態は、通常の心理を以ては考え難い、突発的な異常な心理による行動とより他に考え難く、それは本人の飲酒歴、体質的、性格的条件、飲酒試験の結果から見て、この時は、いつもより特につよい異常な酩酊に陥つたとする推定は相当に大きい可能性があると思う。」としていることとは前記疑問に拘らずなお否定し得ないところである。以上の事実を彼此綜合すると、本件においては、結局被告人は右殺人の犯行当時病的酩酊により心神喪失の状態にあつたと認めるの外はない。

然らば、被告人の右行為を以て殺人の罪とする本位的訴因は失当である。

第二公訴事実第一の予備的訴因(重過失致死)並びに公訴事実第二の死体損壊の訴因についての判断

(事実)

被告人は大正大学教授である近藤隆晃の長男に生れ、東京高校を経て昭和二十五年三月東京大学理学部化学科を卒業し、同年四月東京都足立区千住緑町十六番地所在の日本皮革株式会社に入社し、一時同会社の研究所に勤務した後同会社クローム工場に移り、爾来同工場で技師として働いていたものである。ところで、

(一)  被告人は元来体質的に酒に対する耐性強く、大酒によつて病的酩酊に陥り、異常な意識変調、激しい運動興奮を呈し、甚しいときは病的酩酊の結果心神耗弱乃至心神喪失の状態において他人の生命、身体、財産等に害悪を及ぼす危険ある行動に出る素質を有し、このことは少くとも昭和三十年会社より研究の為めアメリカ、カナダに派遣中に自覚していたものであるところ、かかる素質を有し、これを自覚する者は平素飲酒を抑止し又は制限する等右危険を未然に防止すべき注意義務があるにも拘らず、被告人はこれを著しく怠り、昭和三十一年二月二十八日午後五時頃仕事を終えた後入浴し、同日午後五時二十分頃より同会社クローム試験工場内試験室において、同僚の技師佐々木徳(当三十五年)と共にウイスキー及び日本酒を多量に飲酒した結果病的酩酊に陥り、心神喪失の状態において、同日午後六時頃、右佐々木徳の頭部を金槌、鉄バール(昭和三十一年証第七〇六号の一、二及び四)等で滅茶苦茶に殴打し、因つて即時同所において同人を頭部打撲に基く頭蓋内出血又は脳損傷により死亡せしめ、以て重大なる過失により同人を死に致らしめ、

(二)  被告人は翌二十九日午前四時五十分過頃、右試験工場内において、前記犯行直後右佐々木徳の死体を隠匿しておいた空樽の中に、その犯跡を隠蔽する目的を以て、重クローム酸曹達約八十瓩及び硫酸約九十瓩を順次注入し、因つて翌三月一日午前九時頃迄には右死体の骨質部を除くその余の殆んど大半を溶解せしめ、以て死体を損壊し

たものである。

(証拠)

(一)  証拠の標目(略)

(二)  林、三浦両鑑定、証人伊藤保人、同北沢敏、同川戸儀春の各証人尋問調書、証人浦川則男並びに被告人の当公廷における各供述を綜合すると、被告人は元来体質的に酒に対する耐性強く、飲酒に際しては病的酩酊に陥る素質を有していたところ、大学卒業当時並びに日本皮革株式会社入社当頃時から次第に酒を飲むようになり、特に被害者佐々木徳が被告人と同じ職場に転勤して来た昭和二十七年三月頃からは同人等との麻雀のつき合い等から飲酒の機会が多くなり、これに試験工場における同僚の酒量を誇る傾向や、それまでの被告人の父の厳しい生活態度、教育方針に対する反撥も或る程度作用して次第に好んで飲酒するようになり、いわゆる「コップ酒」や「ガブ飲み」の癖がつき、その頃から多量に飲酒すると屡々常軌を逸した行動に出殊に昭和三十年渡米後は飲酒の結果心神耗弱乃至心神喪失の状態において他人の身体、財産等に暴行を加える等の危険な行動に出たことが認められる。而して一件証拠殊に前記認定に係る被告人の学歴、経歴より推測される同人の理解判断等に関する諸能力と証人伊藤保人の証人尋問調書(特に17問答)、証人浦川則男の当公廷における供述(特に39、161乃至163、165乃至169問答)並びに被告人の当公廷における供述(但し判示認定に牴触する部分を除く)を綜合すると、被告人は少くともアメリカ、カナダ両国に滞在中同人に前記認定の素質、習癖の存することを十分自覚したものと推認される。

凡そ飲酒はそれが多量に及ぶときは人の高等機能を麻痺せしめ意識の障碍を来たし、甚しいときは住々他人の生命、身体、財産等に対し危険な行動に出る可能性を有するものであることは経験則上明らかなところであつて、一般に飲酒する者は右の如き危険を避ける為め社会生活上或る程度飲酒を制御する等の注意義務を負うべきものであることは当然である。就中、飲酒の結果病的酩酊に陥り心神耗弱乃至心神喪失の状態において他人の生命、身体、財産等に害悪を及ぼす危険ある行動に出る素質を有し、これを自覚する者が一般人に要求される飲酒についての注意義務よりも遙かに高度の注意義務を負担することは社会通念上これまた当然のことである。

然るに、本件においては、被告人は前記の如き素質を有し、しかもこれを自覚していながら何ら慎むことなく自ら求めて多量のウイスキー、日本酒を飲み、その結果病的酩酊に陥り心神喪失の状態において判示(一)の犯行に及んでいるのであるから、右素質に基く危険発生の防止につき要求されるべき注意義務を著しく怠つたものといわなければならない。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人は判示(一)で認定のとおり判示(二)の犯行前飲酒の結果病的酩酊に陥り心神喪失の状態にあつたところ、その状態は判示(二)の犯行当時にもなお持続し寛解せざる状態にあつたから、被告人は心神喪失の状態にあつたものである。仮にそうでないとしても心神耗弱の状態にあつた旨主張する。

一件証拠によると、被告人は判示(一)の犯行直後被害者の死を確認して急激に覚醒に向かい、死体を空樽の中に入れ、右犯行現場たる試験室の床に附着していた血痕を水で流したり、自己の身体を洗う為め入浴したりした後同日午後十時頃退社し、途中新宿のバーでジンフィーズを二、三杯飲んで午後十一時三十分頃帰宅して就寝し、翌二十九日午前三時三十分頃起床し、午前四時五十分頃会社に着いて判示(二)の犯行に及んだもので、(一)の犯行時から(二)の犯行時まで既に約十一時間を経過していることが認められ、その間の被告人の行動や、多少なりとも睡眠をとつていること等の事実に徴すれば、右(二)の犯行時には殆んど覚醒していたものと推認されるし、死体損壊の方法も(一)の犯行後帰宅するまでの間に種々考えた挙句の着想であることが認められ、更に前記林、三浦両鑑定によつても右犯行当時酩酊の影響は殆んどなくその意識には何ら狭義の精神障碍がなかつたことが認められる。もつとも被告人が当時精神的にかなり動揺し、興奮状態にあつたであろうことは諸般の状況からこれを認むるに難くはないが、これは右認定を左右するものではない。以上本件に顕われた各証拠に徴すれば、被告人が判示(二)の犯行当時弁護人主張の如く心神喪失乃至心神耗弱の状態にあつたものとは到底認められない。よつて弁護人の右主張は採用しない。

(法令の適用)

法律に照らすと、被告人の判示(一)の所為は刑法第二百十一条後段、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号に、判示(二)の所為は刑法第百九十条に各該当するところ、判示(一)の罪については所定刑中禁錮刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから同法第四十七条本文、第十条により重い判示(二)の罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法第二十一条により未決勾留日数中五百五十日を右刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用して全部被告人の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 八島三郎 西川豊長 新谷一信)

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